聖書から「祈りによる勝利」

「こうしてペテロは牢に閉じ込められていたが、教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた。」                        使徒の働き12章5節

答えられる祈り、力ある祈り、勝利ある祈りとはどのような祈りでしょうか。それは第一に、祈りの戸がいつでも開かれていることを知り、人間の力ではもうだめだと行き詰まるときにこそ、神様に祈ることです。第二に、決して祈りを止めないことです。第三に、熱心に祈ることです。聖書は私たちに心を尽くして祈れと命じています。心を尽くすとは祈りが重労働であることを示しています。祈りは何よりもたいへんな仕事です。伝道より、説教よりも困難な仕事です。だから私たちは祈れないのです。

 第四に、交わりの中の祈りです。教会はペテロのために祈っていたとあります。イエス様は「あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」と言われました。これは教会を指しています。教会で一緒に祈る祈りは力があります。自動車を動かす力はエンジンにあり、教会を動かすエンジンは祈りです。教会の集まりにおいても祈りが満ちることが大切です。

 第五に、神様に対して祈ることです。教会は神様に祈っていたとあります。祈りは神様の御前に出ることです。祈りは神様との会話です。私たちの祈りが周りの人々を意識しすぎた祈りになっています。しばしば祈りを用いて他の人々を教えたり、説教したりしています。

 第六に、祈りは具体的であることです。教会ははっきりとペテロのために祈っていました。私たちはよく一般的に祈りがちです。焦点がはっきりせず、祈りが答えられたのか分からない祈り方になっています。「だれかを救ってください」ではなく、具体的に名前をあげて、「この人を救ってください。」と祈るべきです。(牧師 笠川徹三)