聖書から「私たちを変える祈り」

「 神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。」                       詩篇139篇23節

 祈りは私たちを造り変えます。私たちの祈りはいつも日常の必要に終始した祈りと求めになりがちです。しかし私たち自身が変えられる体験をする祈りとはどんな祈りなのでしょうか。それはまず、上記の詩篇の作者ダビデが祈ったように、「私を調べてください。」という祈りです。私たちが神様の御前に出るとき、私たちの祈りは「私を調べてください。」であるべきです。自分の中に神様に喜ばれないところがあるかないかを吟味してくださいと求めることです。神様に近づくとき、私たちがまだ神様に委ねていないところに気づかされます。何が神様に近づくことの妨げになっているかを教えられるのです。

 次に、「私を砕いてください。」と祈るのです。自分の罪が打ち砕かれる必要があります。ダビデは立派な信仰者となり、イスラエルの誉れ高い王様にまで上り詰めましたが、とんでもない罪を犯し、そのことのゆえに彼は打ち砕かれる体験をしました。徹底的に、粉々にうち砕かれる体験をしました。私たちの信仰はどんなレベルにあっても砕かれることにより成長させられるのです。

 そして、「私を大いに拡げ、用いてください。」と祈ることです。私たちは自分の限界を超えて大きくされることを求めるべきです。自分ができるレベルに留まっているべきではありません。運動選手は自分の限界に挑戦して、食事を徹底的に管理し、体を強くするために必要な栄養を取ることを心がけます。そして練習に励みます。それと同じことが霊的世界にも言えます。それはみことばと祈りです。神様のみことばである聖書を毎日食べるようにして学ぶことです。これが私たちの信仰生活を築き上げていくのです。そして祈ることです。祈りは私たちを聖霊で満たし、勇気と力と知恵を与えてくれます。この祈りは私たちを守ってくださいというのではなく、むしろ私たちを用いて神様の栄光を表わしてくださいという積極的なものであるべきです。