聖書から「見える信仰」

 「イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、『子よ。あなたの罪は赦された。』と言われた。」丸子の福音書2章5節

「イエスは彼らの信仰を見て」という言葉に注目したいと思います。信仰は内面の問題であって、他の人が見ることはできないものだと思われています。しかしイエス様は彼らの信仰を見える信仰と評価しました。見える彼らの信仰とは一体どのようなものだったのでしょうか。

 まずこの出来事について簡単に説明しましょう。イエス様のおられた家に大勢の人々が集まっていました。そこに、中風の人が4人の友人に担がれて連れて来られました。群衆が戸口まであふれていたために、彼らは中に入ることができませんでした。そこで彼らは二階に上り、イエス様のおられるあたりの屋根を引き剥がして、穴を開けて、中風の人をつり降ろしました。このとき、イエス様は彼らの信仰を見て、「子よ。あなたの罪は赦されました。」と言われたのです。

 さて、中風の人を担いできた4人のうちにある見える信仰とはどのようなものだったのでしょうか。まずそれはこの4人が友人の問題を真剣に心配し、無力な友の必要に心動かされたことです。そしてただ心動かされただけでなく、その熱い思いが行動となって表れたことです。

さらに、友人を助ける彼らの行動の大胆さです。群集に遮られても諦めず、二階に上り屋根を引き剥がし、また犠牲を惜しまない大胆さで、友人をイエス様のところに連れて来たことです。何とかしてこの友人にイエス様を紹介したいという熱意が表れています。見える信仰とは、周囲の人々の必要に心動かされ、イエス様こそ唯一の解決者だから、イエス様を分かち合いたいと願い、諦めず大胆にイエス様のところに導くことです。イエス様の目に私たちの信仰はどう映っているのでしょうか。私たちも4人の友人の見える信仰を模範にしましょう。(牧師 笠川徹三)