聖書から「またチャンスが」

「そこで、ユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たちは立ち上がった。エルサレムにある主の宮を建てるために上って行くように、神が彼ら全員の霊を奮い立たせたのである。」エズラ記1章5節  

旧約聖書のエズラ記は、イスラエルによる神の宮の再建を記述しています。その前の書、歴代誌第二は、イスラエルの歴史を扱う中で、バビロニヤによるイスラエルの滅亡で終わっています。バビロニヤによる徹底的な破壊により、イスラエルは歴史の中から抹殺されてしまったのです。主だった人々はバビロニヤへ捕囚として連れて行かれました。しかし、歴代誌第二の終わりの数節に記されているように、神様は、それで終わりというのではなく、イスラエルをふたたび回復してくださることを預言者エレミヤによって語られたのです。それが、70年後に実現したのです。エズラ記はイスラエルの再建の手始めとして神の宮の再建を記しているのです。

さて、スポーツなどの試合で、敗者復活という仕組みがあります。一度負けても、もう一度チャンスが与えられることです。またチャンスがあるのです。イスラエルの歴史を見ると、神様は、セカンドチャンスどころか、幾たびも、彼らにチャンスを与えておられるのです。確かに、イスラエルは失敗したのです。これを守れば祝福されるという神様の戒めを守り続けられなかったのです。そして神様に背いて神様からさばきを受けたのです。けれども裁かれる神様は、それで終わりでなく、もう一度チャンスを与えてくれるお方なのです。

イエス様の弟子ペテロも、イエス様が裁きを受けているとき、イエス様を三度否む失敗をしましたが、主によって立ち直り、初代教会の指導者として活躍しました。私たちも失敗する者です。私たちが心に留めるべきことは、神様は私たちの前途にもう一度チャンスを与えてくださるお方だということです。(牧師 笠川徹三)