聖書から「教えられやすい心」

「ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」ヤコブの手紙1章21節

「心に植え付けられたみことばを素直に受け入れなさい」とあります。ここで注目したいのは、素直さです。素直さとは、謙遜な心を示しています。また寛容な、広い心を示しています。神のみことばである聖書を学ぶとき、大切なのは謙遜な心を持って取り組むということです。別の表現では、教えられやすい心で学ぶことです。「どうか私に教えてください」という態度が必要です。

 さて、謙遜な教えられやすい態度は、人間生活にとって、とても大切なものです。人はすべてのことを知り尽くしているわけではありません。またすべての問題に対する答えを持っているわけではありません。人は生涯を通して学んでいくものです。他の人から学びたいと願う姿勢は、その人に成長をもたらすのです。

 私たちが試されるのは、他の人から批判されたり、誤りを正されたりしたときです。その批判を謙遜に受けとめることができるかどうか、そこに私たちの寛容さが問われているのです。箴言13章18節に「貧乏と恥は訓戒をなおざりにする者に来る。しかし、叱責を大事にする者は誉れを得る。」とあります。人の批判に対して、腹を立て、怒りをあらわにするか、あるいは喜んでその批判を受け入れるか、その人の人格が問われているのです。

 私は、子どもたちから誤りを指摘され、「お父さんの誤りだ」と素直に認めなければならない経験が時々あります。また妻から指摘を受け、それを受け入れ、私の心の寛容さを示さなければならない経験がよくあります。私はいつでも教えられやすい心をもって、多くの人々から学んでいきたいと願っています。また聖書に対しても「神様。どうか私に教えてください。」という謙遜な心で取り組んでいきたいと願っています。(牧師 笠川徹三)