聖書から「真実な友を持つために」

「友はどんなときにも愛するもの。兄弟は苦難を分け合うために生まれる。」旧約聖書 箴言17章17節

 私たちの問題のひとつは孤独であることです。日本は世界において豊かな社会を築き上げたと言われています。しかしその豊かな社会の中で多くの人々が孤立し、苦しみを経験しています。「孤独死」と新聞に書かれる出来事が起きています。お年寄りだけでなく、まだ若い親子が援助を受けることができずに餓死するという痛ましい出来事さえも起きています。聖書に「二人は一人よりもまさっている。二人の労苦には、良い報いがあるからだ。どちらかが倒れるときには、一人がその仲間を起こす。倒れても起こしてくれる者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。」とあります。私たちは一人で生きるように造られていません。私たちは友を持つように神様に造られているのです。

 さて、聖書が語る真実な友を持つにはどうしたら良いのでしょうか。まず、友と呼ばれる親しい関係は、偶然にできるものではなく、自らの意思をもって築き上げるものだと理解することです。友を持ちたいと願うなら、まず自らが人に対して親しみを示し、フレンドリーであるべきです。次に真実な友を持つためには、表面的な関係からより親密な関係へと発展させていく必要があります。そのカギは多くの友より少数の友という、量から質への転換が求められます。親密な関係の質を高めるためには時間を取ることが求められます。私たちの多忙さは親密な関係を築き上げることを難しくしていると知ることです。さらに、真実な友を持つためには赦し合うことが必要です。私たちは近づけば近づくほど相手がよく見えてきて、相手の弱さや欠点に気づきます。そのとき大切なことは互いに不完全であることを認め合い、赦し合うことです。最後に、真実な友を持つためには自らが信頼できる人になることです。真実な友とは友が窮地に陥ったとき、友の側に立ち続けることです。「友はどんなときにも愛するもの」とあるように決して離れないことです。(牧師 笠川徹三)