聖書から「違いをはっきりさせる」

「むしろ、あなたがたを召された聖なる方に倣い、あなたがた自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。」ペテロの手紙第一1章15節

 イエス・キリスト様を罪からの救い主として信じ、洗礼を受けて、クリスチャンになることを聖書は「新生する」と言います。コリント人への手紙第二5章17節に「 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」とあります。新生することを最もよく体験できるのは赤ちゃんが生まれたときです。全く新しい存在がそこに誕生したことが分かります。クリスチャンになるとは、子どもの誕生のように、全く新しい存在に変わることを意味しています。

 さて、聖書は「新生」を説明して、それは「聖なるものになること」と言います。聖であるとは、きよいことと同時に、他のものと分離することを意味します。それは他のものと違うということです。クリスチャンが新しく生まれるとは、聖なるものとなることであり、ほかのものとは違ったものになることを意味しています。そしてその聖である違いのひとつは互いに愛し合うことです。イエス様は「互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります」と言われました。

 クリスチャンを批判しようとした人が、初めのクリスチャンたちの交わりがどのようなものであったか調査しました。その結論として次のように報告したというのです。「見てご覧なさい。彼らは真実に互いに愛しています。」と。他の宗教を信じている人が悪い報告をもたらそうとして、初めのクリスチャンの交わりを綿密に観察した後で、このような結論に至ったのです。初めの教会の交わりがいかに愛に基づいていたものであったかが分かります。私たちが聖なるものとされることは、互いに愛し合う中にその印を見ることができるのです。自分のことばかり考えないで、ほかの人のことを先に考える生き方をトレーニングすることです。それが互いに愛し合う訓練のひとつの取り組みです。 (牧師 笠川徹三)