聖書から「さばいてはいけません(2)」

「私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをさばかれる日に、行われるのです。」                            ローマ人への手紙2章16節

イエス様は他の人をさばくなと命じました。他の人をさばくことは私たちみなが犯している罪です。誰であろうと例外なく犯している罪です。不道徳な罪を犯していない人であっても、他の人をさばくことは日常的に行っていることです。他の人を批判したり、断罪したりする人は実は、その人自身の中に同じ問題が隠されているのです。私たちは自分の中にある弱さ、問題、嫌なところについて、他の人の中に発見するとき、強く反応してしまいます。したがって、私たちが他の人をさばくとき、冷静になって自分自身を吟味してみる必要があります。そのとき、他の人を批判する気持ちにブレーキがかかります。

 さて、なぜイエス様は他の人をさばいてはいけないと命じられたのでしょうか。その答えは、私たち人間は他の人について完全に知らないからです。また自分自身についてよくわかっていないからです。不完全な情報、知識で他の人をさばくことは正しいさばきになりません。私たちの判断は公平さに欠け、自己中心的で、偏見に満ちたものだからです。しかし神様はすべてをご存知のお方です。「ゆりかごから墓場まで」という言葉は私たち人間の歩みをトータルに表現したものですが、神様は私たちのすべてを知っています。私たちが何を話したか、何を行ったか、私たちが何を考えていたかについて、神様は私たちのすべてのことを知っています。聖書によると、私たちはみな最終テストを受けるように、人生の終わりに神様のみ前に立ち、自分の話したたこと、行ったこと、考えたことについて説明するときを持つのです。

人生には最終テストがあります。皆が神様のみ前に立つという聖書の教えは、私たちに大いに厳粛な畏れの思いを抱かせます。他の人をさばくことに関して、不完全な自分の判断により先走ったさばきをしないで、完全な知識を持った神様のさばきにお任せすることです。(牧師 笠川徹三)