聖書から「ののしられても、ののしり返さず」

 「キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。」 ペテロの手紙第一2章22,23節    

 人はみな苦しみを受けたとき、自分の真実な姿を明らかにされます。とりわけ不当な苦しみを受けたとき、私たちがどのように反応するかで私たちの内にあるものが明らかにされます。ペテロは不当な苦しみを受けたイエス様がどのような反応をされたかを書いています。イエス様は罪を犯さなかったのに、罪人として十字架に付けられました。そのとき、イエス様はののしられましたが、ののしり返さず、苦しめられましたが、おどすことをしなかったのです。その姿はイエス様の内にあるものが何かをはっきりと示しています。

 それは第一に、イエス様には復讐心が無かったことです。私たちは何かをされたら、仕返しをします。少しでも不当な扱いを受けたら、抗議し、自分の権利を主張します。また、何か悪いことをして、苦しみを受けることもあるでしょう。しかしイエス様は何一つ悪いことをしていないのに、罪人として、辱めを受け、十字架の苦しみを経験しました。その十字架において、イエス様はいっさいののしりの言葉やおどす言葉を言わなかったのです。言い換えれば、イエス様は自分で自分を守ろうとしなかったのです。不当なことを受けたら、すぐに自分で自分を守ろうと一生懸命になるのが私たちです。

 第二に、イエス様は神様にお任せになったことです。自分で仕返しせず、神様の裁きにお委ねになったのです。「私はこのことを神様に委ねる。神様が最終的な結末をつけて下さる。」と私たちも言うことができたらと思います。私たちは小さなことで心を乱します。自分の番を後回しにされたことで、また軽く扱われたことで腹を立てたりします。不当な苦しみを受けたとき、自分で自分を守ろうとせず、神様に委ねた凛としたイエス様の姿を模範として歩みたいものです。(牧師 笠川徹三)