聖書から「信仰のリトマス試験紙」

「あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。それとも、あなたがたのうちにはイエス・キリストがおられることを、自分で認めないのですか」コリント人への手紙第二13章5節    

 聖書は、私たちがこの世界に生きている中で、信仰に立って歩んでいるか、自分自身を試し、また吟味しなさいと教えています。私たちは日曜日に礼拝をささげ、神様を意識し、恵みの中を歩んで一週間を始めます。しかし、翌日、月曜日になると、信仰の衣を脱ぎ捨てて、神様のことを全く忘れてあゆみがちです。この世界の中で生きていく中で、信仰を持ち続けて歩むことはたいへん難しいことです。一体どのようなときに、私たちは信仰を脱ぎ捨て、神様のことを忘れてしまうのでしょうか。もう一度私たち自身を吟味してみましょう。

 第一に、私たちはだれも見ていないとき、信仰を脱ぎ捨ててしまう危険があります。私たちは人前では自分のことを良く見せたいと思います。しかし人が見ていないところで、私たちの信仰のガードは落ち易いのです。イエス様は、神様を「隠れた所で見ておられるあなたの父」として紹介しています。私たちはひとりになったとき、信仰が試されていることを知るべきです。

 第二に、お金が絡むとき、私たちは信仰を脱ぎ捨ててしまう危険があります。ある人がイエス様に遺産の分与の問題の仲裁を頼んできたとき、イエス様は「どんな貪欲にも注意し、よく警戒しなさい。」と戒められました。お金を儲けることばかりに心を向けていると、霊的いのち、すなわち神様との交わりを失うことになります。

 第三に、忙しすぎるとき、信仰を脱ぎ捨ててしまう危険があります。聖書は、一番大切なこととして、「神様を愛し、隣人を愛する」ことを教えています。神様との関係を築き上げ、また隣人との関係を築き上げることを教えています。関係を築き上げるためには時間が必要です。私たちは忙しすぎるとき、急いでいるとき、他の人と結びつき、神様と結びつく時間を持つことがおろそかになるのです。もう一度信仰に立っているかどうか吟味してみましょう。(牧師 笠川徹三)