聖書から「祈りは命令されている」

「わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。」 エレミヤ書33章3節

 「わたしを呼べ」とは神様が私たちに祈れと命じていることです。聖書は私たちに祈ることを命じています。イエス様も「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。」と祈ることを命じています。使徒パウロも「絶えず祈りなさい。」と命じました。祈りは「したほうが良い」ことではなく、「しなければならない」信仰者の務めです。ではなぜ祈りが命じられているのでしょうか。それは神様のご配慮です。

 そのご配慮の理由は、私たちは祈りを怠りがちです。私たちは毎日朝昼晩と食事を規則的に取ります。学業や仕事に毎日励み、夜になれば睡眠を取ります。しかし祈ることを怠りがちです。毎日時間を決めて祈ることはたいへん難しいことです。だから神様は弱い私たちを覚えて祈りを命じておられるのです。祈りが命じられていることは神様のご配慮です。

 つぎに、私たちが祈るべきたくさんの問題、必要を持っているからです。自分のことばかりでなく、家族のこと、子どもたちのこと、友達のことなど、私たちが生きて行く中でたくさんの問題、必要に直面しています。神様こそ真に私たちの問題を解決してくださるお方です。

 そして、祈りが命じられているのは、私たちの不信仰のゆえにです。私たちは罪を犯したゆえに、神様に顔を上げられないときがあります。大きな失敗をして、回りの人々から非難をされ、針のむしろの上にいるような経験をしたとき、私たちはどうしたらよいのでしょうか。そんな絶望的な状態の中で、祈りによって神様の助けを得ることができるのです。祈りが命じられていることは神様のご配慮です。どんなときにも神様に祈り求めていきましょう。(牧師 笠川徹三)