聖書から「あなたはゆるされている存在です」

「互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。」 エペソ人への手紙4章32節                                 

 ある墓地に心に響く言葉が刻まれた墓碑がありました。そこに刻まれた言葉は「ゆるしを受けた者」でした。人生を終えて、それまでの歩みを振り返るとき、「私はゆるされた。」と思える人は何と幸いな人でしょうか。私たちはみなゆるしを必要としています。私たちはみな他の人に対して嫌な思いをさせたり、ひどいことをしてしまう者です。だからこそゆるしを必要としています。

 さて、神様はあなたをどのように見ておられるのでしょうか。神様はあなたをゆるされた者として見ておられるのです。新約聖書エペソ人の手紙にこう書いてあります。「すなわち、神は世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。」神様は世界が創造される以前から、私たちのためにひとつのことを計画されました。それは私たちが弱く、失敗し、罪を犯す者であることを予め知っておられたゆえに、罪をゆるすことを決められたのです。もし私たちがイエス・キリストを罪からの救い主として信じ、受け入れるなら、私たちのすべての罪がゆるされるのです。イザヤ書に「わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたの背きの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。」とあります。私たちが罪を悔い改めるとき、その罪は取り除かれ、神様はもう二度と思い出さないと言われます。

さらに、聖書は「こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」と約束しています。

 私たちはゆるしを必要とするときが来ます。神様の恵みを必要とするときが必ず来ます。そのとき、ぜひあなたに覚えていただきたいのです。あなたが赦されている存在であることを。そして、ゆるされた者として他の人たちをゆるす者でありたいと願わされます。(牧師 笠川徹三)