聖書から「自己吟味」

「 もし、ふさわしくない仕方でパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。」コリント人への手紙第一 11章27~28節
この聖書箇所は、聖餐式を執り行う時の言葉です。多くの教会では月に一度、おもに第一の日曜日の礼拝において聖餐式が行われています。そこにおいて、パンとぶどう酒をイエス様が与えてくださったものとしていただくのです。「わたしを覚えて、これを行いなさい。」とイエス様が言われた通りに、聖餐式において私たちはイエス様を覚えるのです。イエス様の十字架の前に進み出て、もう一度ひとりひとりが自分を吟味するのです。自分の生活がイエス様中心であるかどうかを吟味するのです。
私たちが自分の罪を認めて神様に立ち返り、イエス様を救い主として自分の人生に迎え入れた時から、私たちの人生は180度方向転換をしたのです。それは上に向かって歩み始めたということができます。上とは神様に向かって人生の進路を取ることです。天国への道を歩み始めたと言い換えることもできます。私たちの人生は紆余曲折です。たくさんの間違いを犯し、弱さのゆえに失敗を繰り返します。だれひとり完璧な人はいません。しかしながら、クリスチャンは紆余曲折しながらも、人生の進路において、間違いなく神様に向かって歩んでいます。天国に向かって進んでいるのです。
川は大きく蛇行しながら海へと流れ進んで行きます。川のように、私たちクリスチャンも、紆余曲折しながらも、絶えず神様に立ち返り、修正しながら歩んでいくのです。聖餐式は私たちに自己吟味を与えてくれる機会です。「私は上に向かって、すなわち神様に向かって歩んでいるか。」と自分に問う時です。生涯、死に至るまで、上に向かって歩み続けることです。それがクリスチャンの生き方です。(牧師 笠川徹三)


