聖書から「人生はテスト期間」

「銀にはるつぼ、金には炉、人の心を試すのは主。」箴言17章3節

 ここでは人が試されることが金銀を精錬することにたとえられています。このたとえは聖書の中にたびたび出てきます。金銀と言う貴重なものを鉱石の中から取り出すためには不必要なものを選り分け、不純物を取り除くことが必要です。そのために「るつぼ」や「炉」が用いられます。莫大な量の鉱石から少量の金銀を取り出します。それと同じことが人の場合にも言えるのです。人も金銀のように人生の「るつぼ」、「炉」で試されます。生まれながらの人間はたくさんの不純物を持っていて、試みられることにより人格が磨かれ整えられて行きます。

 聖書は私たちに人生とはテスト期間のようだと言うのです。私たちの人生の齢は健やかであっても80年から90年です。この期間において、私たちは金銀が精錬されるように神様によって試されます。私たちの何がためされるのかと言うと、それは私たちの心です。別の見方からすれば、人生とは心を磨くために与えられていると言えます。たとえば、旧約聖書に出てくるダビデは、羊飼いから始まり、勇士となり、イスラエルの大将になり、不運にも逃亡者となって放浪を経験しますが、やがてイスラエルの王様になった人物です。彼の人生は波乱万丈でしたが、彼がいつも大切にしていたことは、彼の心の状態でした。つまり彼が神様の御前でどういう心を持っているかでした。彼は生涯心を磨く求道者でした。彼は人生において何が一番大切なことかをよく知っていた人でした。

 では具体的に人は何によってためされるのでしょうか。箴言27章21節に「るつぼは銀のため、炉は金のためにあるように、他人の称賛によって人はためされる。」とあります。そのひとつは「他人の称賛」だと聖書は言います。批判されたり、叱責されたりするときよりも、称賛されるとき、私たちは自分がためされていることをしっかりと覚えるべきなのです。(牧師 笠川徹三)