聖書から「初めが良くても」

「 サウルは答えて言った。『私はベニヤミン人で、イスラエルの最も小さい部族の出ではありませんか。私の家族は、ベニヤミンの部族のどの家族よりも、取るに足りないものではありませんか。どうしてこのようなことを私に言われるのですか。』」         サムエル記第一9章31節

私たちにとって初めの謙虚さを最後まで持ち続けることは難しいことです。イスラエルの初代の王となったサウルもその一人でした。彼が生きた時代は、神様への信仰を中心として部族ごとに連合して民族の独立を守っていました。しかしギリシャのエーゲ海の島々から移住してきたペリシテ人と言う強力な組織力をもった民族がイスラエルの国に侵入し始めると、何ら国家組織をもたないイスラエルは敗退して領地を奪われていきました。この危機的状況において彼らは自分たちにも王を置いて王国を形成し、敵勢力に対抗していきたいと願いました。その結果、預言者サムエルを通して、サウル王の誕生となりました。

サウルは神様が自分を王に任じようとされていると聞いて驚いて上記の言葉を述べたのでした。彼にとって思いもよらない任命だったのです。彼は主を恐れて、絶えず主の前で導きをもとめて謙遜に王権をスタートさせていきました。けれども彼の王権が少しずつ確立していくにしたがい、彼の姿勢は徐々に神様から離れていき、自分の得た地位、権利に執着するようになりました。それ以降のサウルはただ自分の王権を守るためにだれも信用しない人になりました。彼の結末はたいへん悲劇的なものとなりました。

サウルの生涯から教えられることは、謙虚で在り続けることの難しさです。人は何かを持つようになるときそれらに執着してしまいがちです。初めが良くて、終わりも良いという生涯は神様の力に絶えず頼らなければ実現できないことです。イエス様は自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われ、私たちの救いを完成してくださいました。イエス様の謙遜さを模範にして学びたいと思います。(牧師 笠川徹三)