聖書から「日ごとの必要を満たす神様」

「私たちの日ごとの糧を、毎日お与えください。」ルカの福音書11章3節

私たちは祈りを必要な時だけ祈る、いわば困った時の神頼みのように考えがちです。イエス様は、祈りは私たちの日ごとの務めであることを教え、毎日祈ることを勧めています。主の祈りの中の、「日ごとの糧の祈り」は私たちにとって慰めに満ちたものです。私たちの必要を毎日満たす愛に満ちた天の父である神様を覚えさせてくれるからです。

日ごとの糧のために祈れという勧めは、神様が私たちの必要に深い関心を示していることを表しています。この糧とは私たちの肉体に関わる必要についてです。スーパーに買い物に出かけるとき、私たちはしばしば忘れないために買い物リストを紙に書いていきます。日ごとの糧のための祈りは、神様がその買い物リストを「わたしのところに持ってきなさい」と教えているのです。神様は私たちの毎日の必要に答えてくださるお方だからです。私たちの食卓が空っぽであることを神様は願っていません。今は豊かな時代です。日ごとの糧のために祈る必要を感じない私たちです。しかし買い物をしながら、この祈りを覚えつつ、「神様、どうか今必要な食べ物を与えてください。子どもたちが学校から帰って来たとき、働く者が仕事から帰って来たとき、食卓に食べ物があるように助けてください。」と祈ることは大切です。吟味して本当に必要なものを買うことができるようになります。

神様にとって何が一番大切な存在でしょうか。それは神様の子どもたちです。主の祈りは「天にいます私たちの父よ。」で始まります。神様は私たちの天の父です。神様の子どもたちであるクリスチャンはみなこう感じてきたことでしょう。「神様は私をひとり子のように愛してくれた。私は神様にとって特別な存在だ」と。父親が机の上に子どもの写真を置いているように、神様もそのように大きな関心をクリスチャンひとりひとりに持っていてくださるのです。「日ごとの糧の祈り」は私たちの毎日の必要に対する神様の深い関心を示しています。(牧師 笠川徹三)