聖書から「神様の導き」

「その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が立って、『マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください』と懇願するのであった。パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。」 使徒の働き16章9~10節 

 神様は私たちをどのように導かれるのか?そのひとつの例をパウロの経験から学ぶことができます。パウロは対岸にヨーロッパのギリシャを望むことができるトロアスの町にたどり着きました。そこで、有名な「マケドニヤの叫び」を聞くことになり、神様がヨーロッパに福音を宣べ伝えることを願っていることを知りました。

 パウロはトロアスまでどのようにして導かれてきたのでしょうか。彼は第二次伝道旅行の旅路にありました。第一次で伝道したガラテヤ地方を巡回し、さらに前進して、第二次において、彼は大都市エペソをはじめ数多くの町があるアジア州への伝道を考えていました。しかし神様はアジア州で福音を語ることを禁じられました。そこで、方向を変え、ミシアに面した所に着いたとき、ビティニアの方に行こうとしたが、そこに行くことも禁じられた。彼はトロアスまで行き着き、そこで途方にくれました。「一体神様は私をどこに導こうとしておられるのか?」彼はしばらく待たされる経験をし、そしてついに幻を見ることになったのです。

 神様の導きを知るためには、ただ座していてはいけないということをパウロの経験から学ぶことができます。パウロが神様の導きと信じて、アジア州の人々への伝道を夢見て進んで行きました。その道にストップがかけられ、さらにビティニアに行こうとして、またストップがかけられました。その取り組みの中でついにヨーロッパ宣教への導きが示されたのです。大切なことは失敗を恐れないで、今最善と思うことのために信仰をもって行動することです。私たちの問題は、状況が整えられるまで待ってしまうことです。神様は、私たちが動き出す時にもっとも効果的に働かれるのです。(牧師 笠川徹三)