聖書から「苦しみが幸せに変わる」

「苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。それにより 私はあなたのおきてを学びました。あなたの御口のみおしえは、私にとって 幾千もの金銀にまさります。」  詩篇119篇71~72節 

 人生にはいつも苦しみがあります。私たちはいつも「しあわせでいたい」、「フィーリンググッドでいたい」と願います。しかしそれはいつも裏切られ、むしろ苦しみの連続です。しあわせとは良い巡り合わせと言います。たまたま訪れてきた幸運がしあわせなのです。だからそのしあわせをいつも期待していると裏切られ、いつも悲しんだり、不運を嘆いていなければならないのです。そこで、人生とは苦しみと出会うことだと居直れば、それなりの心構えが出来てくるのではないでしょうか。

 さて、この詩篇の作者は、苦しみに会ったことが、自分にとってしあわせでしたと述べています。苦しみがしあわせとは一体どういうことなのでしょうか。不運の連続がどうしてしあわせになるのでしょうか。そのことを理解するカギは、彼が苦しみを通して神様のおきてを学ぶことが出来たからだと言うのです。おきてとは、神様が私たち人間に知ってほしいと願う人生の真理だと言えます。愛に裏切られて人は愛とは何かということを真剣に考え、本当の愛を発見していくものです。また病気になってはじめて健康の有り難さを知るのです。もっと言うと、苦しみに会ってはじめて人は神様を求めるのではないでしょうか。神様を求め、知ることによって、人は人生の本当の意味を悟るのではないでしょうか。だから苦しみにあったことがしあわせになるのです。

 苦しみの中で、神様と出会う時、その苦しみを超えて働かれる神様のご真実な愛を知るのです。そのとき、その苦しみは一変して、今まで見ていた見方から新しい見方へ変えられるのです。苦しみが私にとってしあわせでしたと言える喜びの人生に導かれていくのです。(牧師 笠川徹三)