聖書から「あらゆる境遇に対処する秘訣」

「乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました。私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」ピリピ人への手紙4章11-12節 

 あなたは、どんな境遇にあっても満ち足りることを学んできたでしょうか。伝道者パウロは「学んできた」と言います。また「あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ている」とも言います。彼は状況に左右されなかったのです。むしろその状況に働きかけ、それを変えていく影響力を持っていたのです。一方、私たちは周りの状況に振り回され、右往左往しているのではないでしょうか。

 さて、パウロはなぜ状況に支配されず、静かに事態の推移を見守り、問題に対して適切に対処することができたのでしょうか。その秘訣について考えてみましょう。第1に、彼が神様の摂理的支配を信じていたからです。摂理的支配とは、神様が前もってすべてのことをご存知で、すべてのことを神様の目的のために整え導いて行かれることです。たとえ人間が過ちを犯しても、また失敗を仕出かしても、神様はそれらを用いて私たちのために良いことを成し遂げ導いてくださるのです。ローマ人への手紙8章28節にあるように、「神がすべてのことを働かせて益としてくださること」を信じることです。

 第2に、パウロがキリストの力を持っていたからです。パウロの確信は「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできる」というものでした。どんな境遇にあっても、私たちを満たすものは、私たちの内にあるのです。それはキリストです。私に力があるというのではなく、私たちのうちにおられるキリストに力があるのです。ヨハネの福音書15章にある「ぶどうの木のたとえ」のように、ぶどうの木であるキリストに結びつくことにより、キリストから力が与えられるのです。私たちの課題はいかに深くキリストに根ざしているかです。キリストのうちに私たちの必要のすべてが備えられているのです。(牧師 笠川徹三)